インターネットとTwitter14年と私の歩みの失敗について

2009年

私がTwitterを始めたのは、確か2009年のことだった。
当時はクジラが空を舞い、特に誰とも交流もなく、ボソボソとつぶやいていたと思う。

2011年

この時、私はTwitterには全くログインすらしていなかったようで、東日本大震災についてなにもつぶやいていなかった。
強いストレスとなんとも言えぬ高揚感があった。

2016年

「保育園落ちた日本死ね*1がバズって、
ああ、インターネット言論空間でも社会を変えられるんだ、と強く感じた。

2017年

Togetterあたりでコメントをしていたと思う。
この頃から晩ごはんを毎日投稿し出した。

2018年

TogetterからTwitter に主戦場を移したのはこの頃だっただろうか。

2019年

お金を稼がなければならないという妄執にかられていた。
そうしなければならない理由はいろいろあったが、今となっては何もかもが手遅れだ。
私の中では、最初で最後のバズを経験した時期だ。*2

2020年

コロナ1年目。特にニュースに強く関心を持った時期だった。
また、強いストレスとなんとも言えぬ高揚感があった。

2021年

アルファのような存在感を得て、お金を稼ぐ腹積りであったが、
そのために「絶対に議論に勝つ」のと、「熱く語りすぎない」方針が完全に裏目になり、最悪の形で出てしまった。
Twitterを事実上辞めた。喪失感だけが残った。

2022年

私は、仕事による健康上の理由から実家に長期療養しており、母親が安倍晋三が撃たれたと、起こされた。*3
起きて第一声が「晋三の心臓が!?」などとのたまっていたが、まさか本当に死んでしまうとはこの時知る由もなかった。殺されてしまうと、英雄視されかねない危惧を抱き、死なないでほしいと思った。
この事件がきっかけで、古巣に戻ることになったと思う。

2023年

本格的に古巣へ戻ってきた。*4
多様な意見があることは重要であると考え、非表示機能をほとんど使ってこなかったが、意見ですらないことに気づき、積極的にサーチアンドデストロイする方針にした。*5

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「保育園落ちた日本死ね」から、考えているのは、良くも悪くもバズって注目されなければなにも変わらないという途方もない道のりだ。
2017年から毎日同じことをしても、意味がないと実証できたのだ。だからバズるためにフォロワーが……いや、フォロワーがいないからバズれないのだ……いやいや……。
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*1:anond.hatelabo.jp

*2:

*3:後に退職することになる

*4:イーロン(が赤字のTwitter社へトドメを刺したため)のせいで結果的に万事休すだろうか。いろいろ並行運用はしているもののコミュニティの価値は人数の二乗で云々というし取り巻く環境はさらに厳しい

*5:非表示にしたそれは、お遊びで犯罪係数を算出するのに使えそうとか考えたりする